今年もまたゴッホ展が上野で開かれるので見に行って来ました。いつもなら夫と娘と一緒に行くのですが、今年は夫が亡くなってそれはかないませんでした。会場は相変わらず混んでいました。見たことのある絵や初めての絵などゴッホの絵の世界に浸っていました。

《 Terrasse du café le soir (夜のカフェテラス)》の前だけは列をつくって順番に見なければなりませんでした。『夜のカフェテラス』の絵は星がきらきら光っていて明るく、優しく感じられる絵だと思いながら前に進んで行きました。いよいよもうすぐ絵の正面にさしかかると思われたとき、突然涙が出て止まらなくなりました。胸がいっぱいになりました。夜空の美しさに感動しました。そして絵から伝わるあふれんばかりの深い優しさを感じました。ゴッホはどういう気持ちでこの絵を描いたのか知りたくなりました。
娘はゴッホが大好きで、ゴッホの手紙を愛読していました。そこで帰り道に娘に話してみると、ゴッホの手紙を読んでみたらどうかと言われました。
読んでみると今まで思い描いていたイメージと違いました。手紙の数の多さに驚きました。通信手段として手紙が主流という事もあるでしょうがゴッホは話し好きだったんですね。同じ画家たちのことなど情報通です。それに読書が大好きで私もよく読んでいるモーパッサンやゾラなどの小説に触れています。ゴッホは青年らしい青年だったのだとわかります。
全部読みたかったのですが取りあえず『夜のカフェテラス』が出てくる個所を探しました。
1888年9月に妹のヴィレミーナに宛てた手紙にこの様なことが書かれています。「いま僕が絶対に描きたいのは星空だ。夜は最も強い色合いの紫、青、緑に染まって、昼間よりさらにより豊かな色どりがあるように感じられることがよくある。注意して見れば、ある種の星はレモン色、ほかの星はピンクの火の色、緑、青、忘れな草の青などの色を帯びている。」
そしてまた次に「…晩のカフェの外側を表現したあたらしい絵ができた。テラスには酒を飲んでいる人たちの小さな人影がある。大きな黄色の角灯がテラスや店先や歩道を照らし出し、通りの舗石の上にまで光を投げかけ、通りはピンクがかった紫の色合いを帯びている。星をちりばめた青い空の下にのびる通りの家々の切妻壁は濃い青もしくは紫で、緑の木が一本立っている。これはただ美しい青と紫と緑だけによる、黒なしの夜の絵だ。そしてこの周辺の照らされた広場は淡い硫黄色と緑がかったレモン黄の色合いに染まっている。夜景をその場で描くのはものすごくおもしろい。」ゴッホは細かくヴィレミーナに絵の説明をしています。
いくつか手紙を読んでいくうちにもう一枚カフェの絵があることを知りました。

《café de nuit (夜のカフェ)》です。この絵についてゴッホは言っています。
「多分今日は僕が寝泊まりしているカフェの室内を夜のガス灯のもとで描き始めることになる。これはここの人たちが 夜のカフェ と呼んでいるところ(こちらではかなりよく見かける)で、一晩中店を開いている。だから『夜の浮浪者たち』が宿賃がなかったり、ひどく酔っていて泊めてもらえないようなとき、ここに安息の場を見出すことができるわけだ…」と書かれています。
ゴッホは夜に描くというので、珍しいと思います。カフェが この人々にとってどういう場所なのかわかりやすく説明をしてくれてます。
ではゴッホはどのような気持で何を伝えたかったのか。このように書いています。
『夜のカフェ』の絵で、僕はカフェとは人がとかく身を持ち崩し、狂った人となり、罪を犯すようになりやすい所だということを表現しようと務めた。結局、僕は柔らかなピンクと血の色の赤とワインのおりの色、柔らかなルイ15世=グリーンとヴェロネーズグリーン、それらと対照をなしている黄緑色とどぎつい青緑色、これらのすべては淡い硫黄色の、地獄の業火の雰囲氣の中にあるが、これらの対照を通していわば居酒屋の闇の支配力を表現しようと務めた。とはいえ、日本風の陽気さとタルタランの人の良さという外見のもとで描いたわけだ…」
この箇所を読んでびっくりしました。すごい内容です. 今と違って当時はそういう場所だったのかも知れません。ゴッホは以前牧師を目指していたと言うことなのでそういう精神で案じたのだと思いますが、カフェを描いたこの二枚の絵はあまりにも両極端です。
『夜のカフェテラス』は星がたくさん輝いています。ゴッホは言っています、星は希望だ。
輝くたくさんの美しい星から私は希望を感じました。絵を見て心を揺さぶられたのは、このことだと深く思いました。

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